普通になりたいと願う双極性障害Ⅱ型の私

17歳でうつ病になり、大学卒業も就職も叶わなくなった。

普通の人ができることができない。

同世代が就職していくのを見て泣いていた。

順風満帆だった人生はどうして狂ってしまったんだろう。

うつ病から病名は双極性障害に変わった。

躁があまり激しくないⅡ型とはいえ、浮き沈みの激しさは自分ではっきり自覚するほどだ。

気分の上下に振り回されて疲れる。

自身がこれくらい疲れているということは、周りにも相当迷惑をかけているんだろう。

ありのままの自分を受け入れるのは難しい。

しかし自分を変えたければまず受け入れ認めることから始めたい。

否定的な考えから解放されるために少しずつ自分を許していきたい。

5年付き合った双極性障害について考える。

性格は随分変わってしまった。

自信に満ち溢れていた自分はもういない。

誰がどう言おうが躁鬱は個性と思っていたい。

鬱は大嫌いだが、私はこのブログ「引きこもりなこの躁鬱記」は私が双極性障害だからこそ成り立っていると思っている。

元気な時は前向きな記事を書ける。読んでいてためになる記事を書きたい。

でも、うつのときに今書いているような「うつエッセイ」も個人的には気に入ってる。

やはり役に立つ記事は需要がある。うつエッセイに比べられたらずっと読まれる。

でも私はうつエッセイを書き続けるだろう。

大勢の人が読まなくてもいい。これは私のありのままの文章だから、届く人にだけ、分かる人にだけ届けばいい。

もし私がうつにならなくなれば「うつから来る創作エネルギー」はなくなってしまうんだろうか。

暗い文章や暗い絵をかかなくなってしまうんだろうか。

そうなってしまうのはすこし寂しい。

ああ、でも何事にも限度ってのはある。

自分がバラバラになってしまうような苦しさはいらない。

普通になりたいと思った。

健康であることが普通になりたかった。

認知のゆがみから来る極端な考えをせず、普通の考え方をしたかった。

でも、普通ってなんだ?

定型発達のことを普通というのか?

彼氏に「私は普通になりたい」とこぼしたところ「俺は普通なのかなぁ」と返ってきた。

そうか、あなたみたいな健康な定型発達者でも自らが普通かどうかを疑うのか。

ならば普通ってなんだ?普通の人ってどういう人のことを言うんだ?

社会はひたすら普通であることを求める。

健康で普通な人が欲しい。適切なコミュニケーションをとれる人が欲しい。

輪を乱すような個性はいらない。

障害者はいらない。人生のどこかでつまずいた人もいらない。

皆仮面をかぶって自分を押し殺す。

それができないヤツは社会不適合者と呼ばれる。

私は普通であることを諦めようと思う。

普通でありたかったけど無理だ。今さら普通になるなんてできない。

普通でないなりに幸せに生きたい。

普通でないことを自覚している人は普通でない分だけ社会とぶつかって苦しい思いをするんだろう。

人に理解してもらうのは難しく、こそこそと仮面をつける場面もあるかもしれない。

「大丈夫、一人じゃないよ。あなたのような人もいるんだから。」なんて私は言えない。

自分の苦しみは自分の物だけだからだ。

だから、誰が理解してくれなくても自分が理解してあげてほしい。

あなたがもし普通でないことで苦しんでいるなら、自分で自分を傷つけ苦しめるのはやめよう。

ただでさえ世間はあなたに厳しいんだ。

普通でない自分を責めることもあるだろうが、それでも生きていることはすごいことだ。

普通でなくても生きていけるんだ。

そうやって私は今日も自分に言い聞かせる。

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