死んだらどこへ行くのだろう、自殺したらどんな場所にたどり着くだろう

死生観は人によって様々である。

これは信仰している宗教によっても大きく変わりそうだ。しかし無宗教の人または、一応信じている宗派はあるものの自身のアイデンティティに宗教思想が関わっていない人の死生観はどこから来るのだろう。

私の信じている宗教は自殺を禁じている。

そのことが私が自殺をしたくてもしない理由の一つになっていたりもする。

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死んだらどこに行くのだろう

死後、自分の魂はどうなるのか知りたい。

そもそも魂というものがよく分からない。

心臓と脳が止まっていれば人は死んでいる?魂は心臓にあるのだろうか?

一寸の虫にも五分の魂なら人間の魂はどれくらいだ?

見えないものは測りようがない。

魂とは意識のことだろうか?

死んだあと意識はどうなるんだろう。

まっしろになって、完全に消えてしまうのだろうか。

それとも見えない魂に乗ってどこかへ行くんだろうか。

行くとしたらどこへ行くんだろう。

天国へ?地獄へ?

自殺したものはどこへ行く?

未練があったらどこにも行けず死んだ場所で彷徨い続けるだろうか。

それともつらかったことを忘れられるように安らかに眠れる場所に行けるだろうか。

知っているなら、こっそり私に教えてくれ。

そして死は甘美な妄想になる

生きているのがつらいことだというのはもう分かったから、死んだ後のことを知りたい。

でも誰も知らない。

臨死体験からの証言、霊能者の発言「死後の世界はある/ない」どれもいまいち信じられない。

結局のところ死んでみるまで分からない。

私は死ぬのは怖くない。

もし自分が完全に消えるんだとしても怖くないし、むしろ大歓迎だ。

死にワクワクするのなんて、おかしいだろうか。

知らないから、好きなだけ妄想できる。

つらい現実から目を背け、未知の領域に思いを馳せることで逃避する。

自分の目で見たことのない宇宙を想像するのとあまり変わらない。

希死念慮に追い込まれて死を考えているときとはまた違う、死に対しての思いが私にはあるのだ。

それでも死を選ばない

行き詰まったら、生き詰まったら、どうにもならなくなったら死ねばいいや。

死は最終手段、まだ手段は残ってると自分に言い聞かせている。

自殺したらどうなるか分からない以上死ぬわけにはいかない。

私には、自殺した人の魂が「いい場所」に行けるとは思えないのだ。

自殺したら誰か悲しむ人がいる。自分の死のせいでその人の今後の人生に何か影響を与えるかもしれない。

ニートで迷惑かけてるよりも、死ぬ方がよっぽど迷惑かもしれない。

その時点で自殺者の罪は深い。

自殺するということは自分の人生に白旗を上げることだ。

「もう詰みです。ゲームオーバーです。」と己の人生は失敗だったと自分で決定づける行為が自殺だ。

生きてたら、何か変わったのかもしれないのに。

(変わらないだろうという確信を持って自殺したかもしれないが、それでも。)

人を悲しませ、自分で「最悪な人生だった」と決めつけた者の魂が天国や極楽や安らかに眠れる場所に行けるとは思えない。

だから私は自殺はしない。つらくても苦しくても何度も言い聞かせる。

その一方で、人生に疲れて自殺した人の魂はつらいことから逃れてゆっくり休めるところへたどり着いてほしいとも思っている。今まで救われなかった分、救われてほしい。

魂が完全に消える可能性、安らかに眠れる場所にたどり着く可能性があると思うと私の心は自殺に傾く。

まだダメだ。死んではいけない。決められた時まで、死んではいけない。

その時になってはじめて分かるのがきっと、待ち望んだ死の世界だ。

死後の魂の観点から自殺をしてはいけない理由、私の意見を書いてみた。

死生観を押し付けることはできないが、自殺を考えたときにふと思い出してほしい。

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