双極性障害を認めて受け入れることから始めてみようか

双極性障害で引きこもりの理奈子です!

双極歴は5年ですが、その間ずっと「双極性障害は苦しい。どうしてこうなってしまったんだろう。あのときああしてなければ。」と過去の自分を責め、未来を憂いていました。

もう治らない病気だと絶望し、なんども消えたいと願いました。

そんな私が双極性障害であることを受け入れようと思い立ったことを記していきます。

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双極性障害を受け入れたい

双極性障害であることをずっと悩み続けるのはとても苦しいです。

過去を後悔し、未来に不安を感じ悩み続けてきました。

いくら考えたところで双極性障害が治ることはなく、悩みは尽きることはありません。

この記事でも書いたように

http://komorinako.com/soukyoku/ikidurasa

私は双極性障害である自分と向き合い、生きづらさを軽減することを決意しました。

とはいってもどうすればいいものか。認知の歪みを修正することは長く苦しい戦いになるでしょう。それに、以前認知療法を試し挫折した経験もあります。

そんなときにこの記事を見つけました。

42歳「脳が壊れた」ルポライターのその後〜私が障害を受容するまで

受容には2種類ある。リハビリの現場などで忌避される受容は、「諦観を伴う受容」。自らの障害を認識した上で、抗うことをやめてしまうものだ。もう一方の受容とは、自らの障害を認識して見つめ、それによって周囲の環境調整を企図するものである。

これを読んだとき、私は何かがストンと落ちた気がしました。

私が5年経っても至らなかった境地にこの方は短期間で辿り着いたのです。

認めて、前に進もう。

私はずっと「双極性障害絶対治す」という気持ちと「双極性障害は治らず一生付き合っていかなければいけない病気だ」という諦めの気持ちの間で揺れ動いていました。

双極性障害であることを認めたくありませんでした。高校生まで健常者として生きてきたのに、なぜ自分ばかりレールから脱線してこんな人生を歩んでいるのか。足掻いて、普通に戻ろうとしてもうまくいきませんでした。

でも、もう5年も経ったんです。その間に周りは大学進学して就職して働いています。埋めようのない差ができました。

いい加減認めようよ、理奈子。双極性障害でもいいやと認めちゃおう?

そうじゃないと、前に進めない。

障害からくる症状を自身の性格だと考えてみる。

双極性障害は個性ではありません。

誰かが双極性障害のせいで性格が変わったと悩んでいたら私は「それは病気の症状だからだよ。」と伝えるでしょう。

でも、5年も躁と鬱をくり返していたらもうこれが私の性格のように思えてきました。

昔はもっと明るくて、リーダーシップをとりたがる性格でした。今はその面影もありません。

本当は病気の症状。ここで、発想の転換。個性と思い込むことで「じゃあこの性格とどう付き合っていけばいいのか?」と考えることにしました。

「病気を治そう!」と思っていた頃よりはずっと気持ちが楽です。前に進めそうです。

躁鬱に愛着が出てきた

このブログを始めて良かったことが一つあります。

それは私が双極性障害であるからこそ文章のネタがポンポン出てくるのかも、と気付けたことです。

2カ月ブログを書いてみて、抑うつ時にネタを思いつき軽躁時に文章にしているサイクルができていることがわかりました。

うつ期に入り、ブログを3日間お休みしている間にネタを3つ思いついたら

軽躁の時に一気に文章に起こしてしまいます。

うーん、クリエイティブですね!誰も褒めてくれないなら自分で褒めちゃうぞ。

どうやって障害と付き合っていこう?

自分の障害の特徴をとらえるところから始めていきたいです。

客観的に自分の症状や苦手なことを直視するのは嫌な気分になりますが、そこは我慢します。

軽躁の時は?うつの時は?

何が苦手?体調を崩しやすいのはどんなとき?

特徴を把握したら、次は対策を立てます。

それをくり返すことで迷ったとき、苦しいときに対処していけるようになるのを期待しています。

これは私が自身の生きづらさと向き合う過程にすぎません。

時が経てばまた考えが変わり実践していることも変わるかもしれません。

もしかしたらいつの日かゴリゴリと認知療法実践しているかもしれないしね。

これからも障害を諦めることもなく、戦うこともなく、どう付き合っていくか探していきたいです。

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